時間の生まれるさま―速度と距離のカメラワーク― 映画「D'EST」Chantal Akerman
時間の生まれるさま―速度と距離のカメラワーク― 映画「D'EST」Chantal Akerman
「D’EST」(邦題:東から)は、1993年にベルギー出身(国籍:フランス)の映画監督Chantal Akermanによるもので、当時の東ドイツから、ポーランド、リトアニア、ウクライナ、モスクワまでの旅行記的な映画である。110分の間、台詞というものは一切なく、くすんだブルーの画面上に、その道中の人々が延々と映り続ける。
この映像を見ていると、時間が同時多発的に生まれていくような不思議な感覚を覚える。浜辺に座って遠くの水平線を見つめながら繰り返し波音を聞いているうちに、意識が遠のいて普段よりも個々の現象をより広範かつ強く感じることと似ているかもしれない。画面は乾いた平割面でありながらカオスに満ちている。
この映画は概ね下図の3つのカメラワークでできている。
これらのショットの共通点が、
・長回し
・カメラの速度は不変(ゼロか一定)
・カメラが動く場合、対象の面・線(長い壁面、道路、ヒトの行列)に対して、平行・直交の幾何学的軌道をとる。
カメラがゆっくりと一定の速度を持って画面水平方向に動いていき、画面を水平に車が横切り、木々の葉がそよぎ、その横で建物が速度ゼロで鎮座し、手前から向こう側へと人々がある速度で遠のいていくといった風に、対象の動きを様々なパターンや密度で映し出していく。
それは、非情・冷徹で、時折カメラの方を向いて笑顔を振りまいたり、嫌悪感を表明する人々が画面に登場するが、カメラはそれらを追わないし、徹底的に無視し続ける。
全編に渡ってカメラが強い形式的な動きに徹することで、映画を見ている者にとって、いわば座標のような役割をカメラが担うことになる。
この座標と化したカメラによって、様々な対象―ヒト・植物・動物・建物・車・電車・機械・風・光―の速度や距離の差異ひとつひとつが明瞭に、それも一挙に画面上に映し出され、まるで次々と時間が生まれていくような感覚を覚えるのである。
意味を追わずに意味を込めずに、強い形式的な手法の行使によって、目の前にある現象、表層の内に隠れている生き生きとした構造を、鮮やかに引っ張り出している。
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